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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)12788号 判決 1991年6月14日

原告

松本妙子

右訴訟代理人弁護士

清水洋二

和田裕

被告

学校法人日本医科大学

右代表者理事

永井氾

右訴訟代理人弁護士

今井文雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する昭和五七年九月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、昭和二四年三月一一日生まれで、昭和四七年五月に一度出産経験があった者であり、被告は、肩書地に日本医科大学医学部等を設置する法人で、東京都多摩市永山一丁目七番一号において日本医科大学付属多摩永山病院(以下「被告病院」という。)を設置しているものである。

2  診療契約の締結

原告と被告とは、昭和五七年九月二四日、原告が出産するに際し、被告が、その履行補助者である医師、助産婦、看護婦等をして、原告に対して、適切な診断、分娩指示、分娩介助等を行わせ、原告が平穏かつ安全に胎児を出産し、かつ、分娩後も原告及び新生児に後遺障害が生じないように適切な治療等をなす旨の診療契約を締結した。

3  診療の経過

(一) 原告は、妊娠したために昭和五七年四月一二日に初めて被告病院に受診し、産婦人科中嶋唯夫医師の診察を受け、子宮は普通の大きさで異常がないとの説明を受け、被告病院で出産するように勧められた。

(二) 原告は、右初診時、右中嶋医師に対し、初産のときは難産で、陣痛開始から分娩まで三九時間かかったこと、原告は、子宮口が開大し難い体質であることを告げた。

(三) 原告は、同年九月二四日朝、陣痛が始まったため被告病院に連絡したところ、入院を指示されたので、同日午後九時三〇分ころ、被告病院産婦人科病棟に入院した。原告は、右入院当日は医師の診察を受けられなかったが、同月二五日午前中に三浦義雄医師、同日昼ころに川村満元医師の診察を受け、川村医師が出産は同月二六日昼ころとの診断をした。川村医師は、右診察後に帰宅し、原告は、看護婦から、川村医師が学会のために留守になるからそのまま自然観察をするとの説明を受けた。

(四) 原告は、同月二五日午後一一時四〇分過ぎころ分娩室に入室し、被告病院の酒井和子助産婦、駒場薫準看護婦によって分娩の介助受けた。原告は、酒井助産婦の指導に従っていきんだが下腹部に力が入らなかった。酒井助産婦は、同月二六日午前〇時五〇分ころ、腹部を圧迫して娩出の介助を図るクリステル娩出法を試み、看護婦の一人を原告の腹の上にまたがらせて腹部を圧迫させ、他の二人の看護婦に原告の両脇から長い布で腹部を圧迫させて、原告の分娩を図り、そのころ、原告は、男児を出産した。

(五) 右分娩に至るまで、原告は、入院当初からかなり強い陣痛があったが、その子宮口は容易に開大しなかった。また、酒井助産婦が、原告に対してクリステレル娩出法を試みた際、医師の立会はなく、同助産婦はあらかじめ医師の指示を受けることなくクリステル娩出法を実施した。更に、酒井助産婦がクリステレル娩出法を試みたときには、原告の子宮口は未だ全開大にまで開大していなかった。

(六) 原告は、出産直後に著しい呼吸困難に陥って声も出せない状態となったため、被告病院の西島重光医師がそのころ原告を診察した。原告は、子宮頸管裂傷及び子宮弛緩出血を起こし、出血性ショック又は外傷性ショックに陥った。さらに、原告は、播種性血管内血液凝固(以下「DIC」という。)を発症し、分娩後約七時間のうちに総計四〇五〇ccもの大量の出血をして、意識不明の状態に陥った。原告は、その後、六日間も生死の境をさまよい、多数の献血者から四〇〇〇cc以上の輸血を受けて、ようやく一命をとりとめた。

(七) 原告は、その後、徐々に体調が回復したが、出産後約四週間の間、産褥熱が続いた。また、レバーのようなものが悪露に混じって出たため、同年一〇月二〇日、西島医師が原告の子宮内容除去術を行い、このとき原告の子宮腔内から二四日間残留していた胎盤及び卵膜(以下「胎盤等」という。)の遺残片が排出された。

(八) 原告は、産褥熱も下がったため、同月二八日に被告病院を退院したが、体調が思わしくないため、その後も昭和六〇年三月一九日まで、被告病院へ通院した。この間、被告病院からは何の異常もないとの説明を受けた。

(九) 原告は、昭和六〇年二月から、北里研究所病院産婦人科に通院し、同病院において卵管造影によるレントゲン撮影等の検査を受けた結果、右病院小林英郎医師から、子宮腔内癒着で、妊娠不可能であるとの診断を受けた。原告には、現在でも時に激しい腹痛と吐気があるほか、生理痛、月経異常、薬物過敏症などの後遺障害が残存している。

4  因果関係

(一) 原告の子宮頸管裂傷及び子宮弛緩出血は、酒井助産婦、駒場準看護婦らが、原告の子宮口が全開大に達する前に、原告に対してクリステレル娩出法を実施したことにより生じた。

(二) 右子宮頸管裂傷及び子宮弛緩出血による大量出血によって原告が出血性ショックに陥り、これが原因でDICを発症した。

(三) 原告の子宮腔内癒着は、DICの後遺症である。

(四) 原告の子宮腔内癒着は、本件分娩後、胎盤等の遺残片が長期間子宮内に残留したことが原因で発症した。

(五) 原告の子宮腔内癒着は、西島医師が原告に対して実施した子宮内容除去術が原因で発症した。

5  帰責事由

(一) (分娩監視体制の不備)

原告は、難産であることが容易に予想されたから、被告は、原告の分娩には終始医師を立ち会わせるべき義務があったのにこれを怠った。

(二) (指示の不徹底)

原告は、難産であることが容易に予想されたから、被告の雇用する医師は、酒井助産婦、駒場準看護婦らに、緊急事態に備えて適切かつ十全な指示をしておくべき義務があるのにこれを怠った。

(三) (不適切な娩出介助法の実施)

クリステレル娩出法は、危険を伴う娩出介助法であるから、助産婦及び看護婦は、必ず医師の指示を受けてから実施すべき義務があるのに、酒井助産婦、駒場準看護婦らはこれを怠った。

(四) (娩出介助法実施の際の不手際)

クリステレル娩出法は、産婦の子宮口が全開大になったことを確認してから実施すべき義務があるのに、本件では、酒井助産婦、駒場準看護婦らは原告に対するこの確認を怠った。

(五) (残留物の見落とし)

西島医師、酒井助産婦、駒場準看護婦らは、胎児の娩出後、母体内に胎盤等が遺残していないかどうかを十分に確認すべき義務があるのにこれを怠った。

(六) (手術の遅延)

西島医師は、早期に本件子宮内容除去術を行うべき義務があるのにこれを怠った。

(七) (手術の不手際)

西島医師は、手際よく本件子宮内容除去術を行うべき義務があるのにこれを怠った。

6  損害

(一) 慰謝料 六〇〇万円

(1) 原告は、子宮頸管裂傷、子宮弛緩出血及びDICにより死に頻し、筆舌に尽くし難い精神的・肉体的苦痛を被った。

(2) 原告は、子宮腔内癒着を原因とする生理痛、月経異常、薬物過敏症、不妊症等の後遺障害により、現在も精神的・肉体的苦痛を被っている。

(3) 右(1)及び(2)の精神的・肉体的苦痛に対する慰謝料は六〇〇万円が相当である。

(二) 弁護士費用 一〇〇万円

本件訴訟追行のための費用

7  よって、原告は、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求として、右損害金合計七〇〇万円のうち六〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年九月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2はいずれも認める。

2  同3のうち、(一)は認める。(二)は否認する。(三)及び(四)は認める。(五)は否認する。(六)は認める。(七)のうち、原告に産褥熱が続いたこと及び胎盤の遺残片が排出されたことは否認し、その余は認める。(八)のうち、産褥熱があったことは否認し、その余は認める。(九)は知らない。

3  同4はいずれも否認する。

4  同5はいずれも否認する。

5  同6は知らない。

三  被告の主張

1  原告に対する診療経過は次のとおりである。

(一) 原告の子宮口は、昭和五七年九月二五日午後七時四五分から九時一五分にかけて四センチメートル開大であり、同日午後一一時に五センチメートル開大であり、同日午後一一時四五分には八センチメートル開大であり、同月二六日午前〇時三〇分に一〇センチメートルの全開大となった。

(二) 原告は、同月二五日午後一〇時四五分に破水し、羊水は混濁していた。

また、同日午後一一時三〇分には気分不快、不穏感、興奮状態となり、同月二六日午前〇時一〇分ころにはチアノーゼ、軽度のショック状態、胸内苦悶を生じた。

(三) 原告の分娩には被告病院の西島医師が立ち会っており、西島医師は、同月二五日午後一一時三五分過ぎころ、原告の血圧が低下し、軽いショック状態に陥ったため、酸素の吸入を指示し、また、同月二六日午前〇時三〇分には、原告の分娩開始にあたり、分娩を容易にするため会陰部左側を切開した。

(四) 右西島医師は、原告が同日〇時五〇分に胎児を分娩した後遅滞なく、既に切開していた会陰部左側の切開部分と分娩時に原告に生じた子宮頸管裂傷とを縫合した。

(五) 原告は、右(四)の縫合がなされたにもかかわらず、右縫合部及び膣壁の擦過傷などから非凝固性の出血が持続し、ショック状態となった。西島医師は、これを羊水栓塞症によるDICの発症と診断し、大量の輸血輸液を行うとともにフィブリノーゲンやFOY(蛋白分解酵素阻害剤)を投与するなどして治療に努めた。また、原告は多臓器不全(以下「MOF」という。)を併発した。

(六) 原告の分娩後、胎盤等がいずれも欠損なく完全に排出されたことを確認した。また、原告の被告病院退院時及びその後の外来通院時における診察所見では、子宮の異常は認められていない。

2  クリステレル娩出法について

右1、(一)から(三)までのとおり、原告に対してクリステレル娩出法を試みた際には、原告は、血圧が低下して軽いショック状態に陥っており、また、自発的ないきみも不充分であったのであるから、分娩が長期間にわたることは好ましくないのであり、かつ、原告の子宮口は全開大となり児頭が発露していたので、自然分娩において一般的に用いられているクリステレル娩出法によって分娩を介助したものである。

3  分娩時の医師の立会について

保健婦助産婦看護婦法は、助産婦が単独で独立して分娩介助をなし得ることを定めており、一般に、深夜などの通常出産の場合は、医師の立会なくして助産婦のみによる分娩介助が行われている。

4  子宮内容除去術について

MOFを発症した場合には、しばしば組織の壊死が認められるものであるから、原告に対して子宮内容除去術を施した際に排出されたのは、MOFによる子宮内壊死組織である。

5  因果関係について

原告は、右1、(二)に見られる症状から羊水栓塞症を発症しており、この羊水栓塞症に基づく急性DICによって、出産後大量の出血が持続し出血性ショック状態に陥ったものであって、この出血性ショック状態の発生は、クリステレル娩出法など分娩に際して被告の行った処置とは関係のないものである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張のうち、(一)から(三)までは否認する。(四)のうち、西島医師が原告に生じた子宮頸管裂傷を縫合したことは認め、その余は否認する。(五)のうち、原告がショック状態となり、大量輸血を受け、MOFを併発したことは認め、その余は知らない。(六)は否認する。

2  同2は否認する。

3  同3は認める。ただし、助産婦は衛生上危害を生ずる虞のある行為をしてはならないとされているものである。

4  同4及び5は否認する。

第三  証拠<略>

理由

一請求原因1(当事者)及び同2(診療契約の締結)の各事実については、いずれも当事者間に争いがない。

二請求原因3(診療の経過)について

1  同3、(一)、(三)、(四)、(六)の各事実、(七)のうち、原告に産褥熱が続いたこと及び胎盤等の遺残片が排出されたことを除くその余の事実、(八)のうち、産褥熱があったことを除くその余の事実は、いずれも当事者間に争いがなく、これらの争いのない事実と、<証拠略>及び弁論の全趣旨とを総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、妊娠したために昭和五七年四月一二日にはじめて被告病院に受診し、中嶋医師の診察を受け、昭和四七年五月に第一子を出産したときは難産で、陣痛開始から分娩まで三九時間かかったこと、原告は子宮口が開大し難い体質であることを告げた。右中嶋医師からは、子宮は普通の大きさで異常がないと診察され、被告病院で出産するように勧められた。

(二)  原告は、昭和五七年九月二四日朝、陣痛が始まったため被告病院に連絡したところ、入院を指示されたので、同日午後九時三〇分ころ、被告病院産婦人科病棟に入院した。原告は、右入院当日は医師の診察を受けられなかったが、同月二五日午前中に三浦医師の診断を受け、分娩までにはまだ相当の時間がかかる旨の説明を受けた。また、同日昼ころには川村医師の診察を受け、川村医師が分娩は同月二六日昼ころとの診断をした。川村医師は、右診察後に帰宅し、被告病院の前記中嶋医師及び西島医師と共に、産婦人科医の学会に出席した。原告は、看護婦から、川村医師が学会のために留守になるからそのまま自然観察をするとの説明を受けた。

(三)  原告は、同月二五日午前九時二〇分から午前一一時三〇分の間、同日午後七時四五分から午後九時四〇分の間、それぞれ分娩室に入室したが、分娩に至らず、それぞれいったん病室に帰室した。この間、原告には陣痛があったものの、その子宮口は、固くて容易に開大せず、同日午後七時四五分から九時一五分にかけて四センチメートル開大であった。その後、原告は、同日午後一〇時四五分に病室において自然破水し、同日午後一一時での子宮口は五センチメートル開大となった。同日午後一一時三五分ころ、駒場準看護婦が観察したところ、原告の子宮口は五ないし六センチメートル開大であり、そのころ、原告は、腹緊が強い旨訴え、そこで、駒場準看護婦らに介助されて分娩室に移送された。分娩室において、駒場準看護婦の観察によって、原告の羊水には混濁が認められ、さらに、同日午後一一時四五分ころには、原告の子宮口は八センチメートル開大となり、急激に子宮口の開大が進んだ。

そこで、駒場準看護婦らは、そのころ直ちに、同日の分娩担当であった酒井助産婦及び西島医師を電話で呼び、右経過を報告したところ、西島医師は、原告に羊水混濁を生じたとの右報告を受けて、原告への酸素投与等を指示した。また、酒井助産婦は同月二六日午前〇時一〇分ころには被告病院に到着し、同助産婦が、そのころ原告を診察したところ、子宮口は八センチメートル開大であり、羊水には混濁が認められた。また、同日午前〇時二〇分ころからは、原告に装着していた分娩監視装置による胎児心音の測定において、胎児の心拍数の乱れが生じた。原告は、酒井助産婦の指導に従っていきんだが下腹部に力が入らなかった。

同日午前〇時五〇分ころには、西島医師が被告病院に到着し、直ちに分娩室に入室したところ、原告の胎児の児頭は発露の状態となっており、原告の子宮口は全開大の一〇センチメートル開大となっていた。このため、西島医師は分娩を容易にするため原告の会陰部を切開し、分娩着に着替えるため分娩室を出た。西島医師が分娩室退室後、酒井助産婦は、自らの判断で、腹部を圧迫して娩出の介助を図るクリステレル娩出法を試み、看護婦の一人を原告の腹の上にまたがらせて腹部を圧迫させ、駒場準看護婦ら他の二人の看護婦に原告の両脇からバスタオルを用いて腹部を圧迫させ、原告の分娩を図り、原告は、右時刻ころ、アプガースコアが九点の健康な男児を出産した。その後、同日午前〇時五四分ころ、原告は胎盤等を自然に娩出し、後記(四)のように分娩室に戻って原告を診察した西島医師がそのころ右の胎盤等の欠損の有無、外子宮口における遺残物の有無等を確認し、また、酒井助産婦が、後記(四)の大量出血があって意識不明の状態に陥った原告にようやく止血の効果が生じたが大量の新鮮血の提供者の確保等の対応に追われる最中の同日朝ころ、右の胎盤等の形状を確認したが、いずれも、欠損や遺残を発見することができなかった。

(四)  原告は、出産直後に凝固性の八〇〇ccの出血をし、また、顔色が悪く、著しく呼吸困難に陥って声が出せず、眼球が上転してショック状態となったため、これに気づいた酒井助産婦が医師を呼ぶように看護婦に指示したところ、折から分娩着を着た西島医師が分娩室に戻ってきて、直ちに原告を診察した。西島医師は、原告に生じていた子宮頸管裂傷を縫合するとともに、分娩のために前記のとおり切開を施した会陰部を縫合した。しかし、これらの縫合にもかかわらず、原告は、子宮弛緩出血を併発して、出血性ショックに陥った。また、右縫合部や膣壁から非凝固性の出血が持続し、DICも発症した。このため、原告は、分娩後数時間のうちに総計四〇五〇ccもの大量の出血をして、意識不明の状態に陥ったが、西島医師の指示及び処置により、右の指示に基づく原告の夫らの要請を受けた多数の献血者から提供された新鮮血など四〇〇〇cc以上の輸血を受けるとともに、フィブリノーゲンやFOY(蛋白分解酵素阻害剤)のDIC治療薬の投与、酸素投与等の治療を受けて、その後、六日間も生死の境をさまよったものの、一命をとりとめた。また、原告は、急性腎不全、肝機能障害、呼吸抑制等となり、MOFをも併発した。

(五)  原告は、その後、徐々に体調が回復し、同年一〇月四日には、前記の会陰部の縫合部の抜糸を受けるなどしたが、出産後約四週間の間、産褥感染症に基づく産褥熱が続き、また、この間、数度にわたりレバーのようなものが悪露に混じって出た。西島医師らは、原告に子宮復古不全が認められたため、子宮腔内に胎盤の遺残があるのではないかと疑い、同年一〇月二〇日、西島医師が掻爬により原告の子宮内容除去術を行ったところ、大量の血液の塊であるコアグラとともに胎盤等の遺残片計八〇グラムが排出された。右排出物は、被告病院の病理組織検査によって胎盤等の遺残片と判断された。また、西島医師が子宮内容除去術を施した際には、原告の子宮腔内には癒着が認められなかった。

(六)  原告は、右(五)の子宮内容除去術を受けた後、ほどなく産褥熱も下がったため、同月二八日に被告病院を退院したが、予後の経過等について診断を受けるため、その後も昭和五八年五月二六日までの間比較的頻繁に被告病院へ通院した。この間、原告は、同月一〇日に被告病院に受診した際に、同月四日から三日間程度、本件出産後初めて月経があった旨申告したが、これは、本件出産前の通常の月経とは異なり、少量のものであった。また、右の通院中、原告は、西島医師が原告の排卵の有無に関心を持っていないのではないかと思い始め、このことから同医師に対して不信感を抱いたこともあったが、同月二六日、また子を産める、頭の方を含め健康体である等の説明を受けたので、同月二七日から昭和六〇年一月ころまで一年半余りの間被告病院への通院をやめた。しかし、原告は、その後体調が完全に旧に復させないため、同月二九日及び同年三月一九日再度被告病院に受診したが、被告病院からは子宮ガンのおそれもなく原告には何の異常もないとの説明を受けた。

(七)  右のような被告病院の対応に再び不信感を抱いた原告は、昭和六〇年二月から、北里研究所病院産婦人科に通院し、同病院において卵管造影によるレントゲン撮影等の検査を受けた結果、右病院小林英郎医師から、子宮腔内癒着で、妊娠不可能であるとの診断を受けた。原告には、現在でも時に激しい腹痛と吐気があるほか、生理痛、月経異常がある。

以上の事実が認められ、原告本人尋問中の右認定に反する部分は、原告が本件分娩当時の異常な状態下における限られた条件下で認識し、かつ、記憶したところに基づくものであって、<証拠略>に照らし、にわかにこれを採用することができない。

2(一)  原告は、乙第三号証中の分娩経過表(パルトグラム)は、本件分娩後、原告が被告に対して損害賠償の請求をした後に改竄されたものであり、このことから、酒井助産婦らが原告に対してクリステレル娩出法を実施した際に、原告の子宮口は全開大にまで開大していなかったと推認すべきであると主張しているようであるので、この点について検討する。

<証拠略>によれば、原告が胎児を娩出した直後から前記認定のとおり原告の大量の出血があり、DICを発症したため、西島医師や酒井助産婦らは、この出血に対する治療に専念をせざるを得ず、大量の輸血の準備等に忙殺されていたこと、このため、右分娩経過表は、胎児娩出の数時間後すなわち右出血への対応が一段落した後(朝ころ)に、酒井助産婦が記憶に依拠して記載したこと、右分娩経過表中の昭和五七年九月二六日午前〇時一〇分の欄の「顔色不良、軽度のショック」の記載は酒井助産婦が自ら体験したものではなく、他の看護婦のした報告が後に思い出されて記入されたものであるが、これらのほかにも同様に他の看護婦から先に聞いていた報告を思い出して酒井助産婦らが後に記載した点が右の表には含まれていることが認められる。例えば、右分娩経過表中には、胎児娩出直前の同日午前〇時五〇分ころ前記認定のとおり西島医師が会陰部切開を施した後である同日午前一時ころに、西島医師がようやく被告病院に来院したかのような記載があるが、これも<証拠略>によれば、酒井助産婦が前記のように本件胎児娩出の数時間後に、その娩出の直前直後の出来事を必ずしも時系列に従わないで一まとめに記載したものであることが認められる。また、右分娩経過表の記載中、子宮口の開大と時間との関係に関する部分については、<証拠略>によれば、駒場準看護婦、酒井助産婦らがそれぞれ原告の子宮口開大の状況を見た都度記載しており、これがその都度のこれらの者の行動や処置とも符合する内容となっていることが認められるのであって、これらについて被告病院側の者が後になって意識的に事実と異なる内容を書き加えたことを窺わせる形跡は認められない。

以上を総合すると、右分娩経過表の記載は、原告のDICの発症に対する処置で混乱した状況下での記憶に基づき、かつ、自己の体験しなかった事実をも含めて記載されたものであるから、必ずしも細部まで正確なものとはいえないけれども、後に事実を隠蔽するために意図的に改竄されたものとまでは到底いうことができない。

よって、右記載内容中に事実と異なるものがあるということだけで、子宮口が全開大に達する前にクリステレル娩出法が実施された事実を推認することはできない。

(二)  原告は、原告に子宮頸管裂傷が生じたという事実から、子宮口が全開大に達する前にクリステレル娩出法が用いられた事実を推認すべきである旨主張するので、この点について検討する。

<証拠略>によれば、子宮頸管裂傷は、頸管が自然に全開大に達する以前に急速に分娩が進行した場合、巨大児や児頭の回旋異常の場合、頸管の熱化不全の場合、頸管が全開大に達する前に吸引分娩や鉗子手術が行われた場合、子宮頸管縫縮術が行われた後や前回にも頸管裂傷を起こしている場合に生じること、子宮口が全開大に達する前にクリステレル娩出法が実施されたときには子宮破裂、常位胎盤早期剥離、子宮頸管裂傷等の原因となり得ることが認められる。これらによれば、子宮頸管裂傷は子宮口が全開大に達する前にクリステレル法が用いられた場合にのみ生ずるものでないことは明らかである。のみならず、本件では、既に認定したとおり、昭和五七年九月二五日午後一一時三五分から四五分までの僅か一〇分余りの極めて短時間に、原告の子宮口が五ないし六センチメートルから八センチメートルまで急激に開大している事実が認められ、<証拠略>によれば、この時期に増強した陣痛時の激しい子宮の収縮によって子宮頸管裂傷が発生し、かつ、このことによって右のとおり急速に子宮口が開大した可能性があることが認められる。また、本件では子宮口が全開大に達する前にクリステレル娩出法を施した場合に生ずべき子宮破裂や胎盤早期剥離が生じておらず、かつ、本件の子宮頸管裂傷は、前掲西島証言によれば、長さ三センチメートル位のもので、通常子宮口が急速に開大したときによく見られる程度のものであったことが認められるのである。

そうしてみると、子宮頸管裂傷を生じたという事実から子宮が全開大に達する前にクリステレル娩出法が用いられたという事実を推認するには至らないものといわなければならない。

三右二の認定事実に基づき、原告に生じた子宮腔内癒着及び不妊症、月経異常等の後遺障害の原因について以下に検討する。

1  本件DICの原因について

<証拠略>によれば、DICは、常位胎盤早期剥離、弛緩出血等の後産期出血を原因として発症することが多く、その他、DICの基礎疾患としては、羊水栓塞症(羊水塞栓症)や子宮内胎児死亡等があること、出血性ショックとDICとは相互に原因となり得る悪循環的な関係があり、すべてのショックがDICの原因となり得ることが認められるところ、既に認定したとおり、原告は、出産直後に子宮頸管裂傷及び子宮弛緩出血に基づく八〇〇ccの出血があり、その後も出血が持続して出血性ショックに陥ったものであるが、<証拠略>によれば、鑑定人は、本件においては右子宮頸管裂傷及び子宮弛緩出血による出血性ショックからDICを発症したものと考えるのが一般的であると判定しており、この鑑定の判断過程その他については特段容喙すべき難点も見当たらないので、これを信頼すべきものと認められるから、本件においてDICを発症した原因となったのは、右子宮頸管裂傷及び子宮弛緩出血の発症であったものというべきである。

被告は、本件のDICの原因は原告に生じた羊水栓塞症であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

2  子宮頸管裂傷がクリステレル娩出法によって生じたものか否かについて

<証拠略>によれば、子宮口が全開大に達しているときにクリステレル娩出法を行っていれば、子宮頸管裂傷を生ずることはあり得ないことが認められ、既に認定したとおり、酒井助産婦らがクリステレル娩出法を試みた際には、原告の子宮口は全開大となって胎児の児頭が発露の状態にあったのであるから、本件においてはクリステレル娩出法によって原告の子宮頸管裂傷が生じたものとはいえない。むしろ、既に判示したとおり、本件の子宮頸管裂傷は、原告の子宮口が五ないし六センチメートルから八センチメートルまで僅か一〇分余の短時間に急激に開大するという分娩の急速な進行そのものが原因となって発生した可能性が高いものというべきである。

3  子宮弛緩出血がクリステレル娩出法によって生じたものか否かについて

<証拠略>によれば、子宮弛緩出血については、遷延分娩、多胎や巨大児などによる子宮筋の過度伸展、墜落分娩等の急激な経過をとった分娩、不適切な陣痛促進剤の乱用、癒着胎盤、子宮筋腫等の合併、後産期の子宮に対する不適切な刺激等が主な原因とされているが、原因不明の場合が少なくないこと、本件は、厳密な意味における遷延分娩ではないが、子宮口の開大が途中なかなか進まず分娩が遷延している事態が存したこと、また、本件も、既に判示したとおり、原告の子宮口が五ないし六センチメートルから八センチメートルまで僅か一〇分余の短時間に急激に開大した事実が現われており本件が急激な経過をとった分娩の一例といえなくはないこと、後産期の子宮に対する不適切な刺激は、胎児娩出後の胎盤娩出のための措置等を行う際に問題となるものであって、クリステレル娩出法の採否とは関係がないことが認められる。以上によれば、原告の子宮弛緩出血の原因については、分娩の遷延又はクリステレル娩出法実施以前の急激な分娩の進行がその原因であった可能性が考えられる一方、右の子宮弛緩出血が他の少なくない例にも見られる原因不明のものと考えるべき余地もあり、いずれにしても、原告に対するクリステレル娩出法の実施がその原因であるとまではいうことができない。そして、以上の他に、原告の子宮弛緩出血がクリステレル娩出法によって生じたものと認めるに足りる証拠はない。

4  子宮腔内癒着の原因について

<証拠略>によれば、分娩後に子宮腔内に胎盤等の遺残片がある場合には、子宮の復古不全となり、悪露が滞留して子宮腔内に感染を生じ産褥性の子宮内膜炎になることがあること、子宮腔内への胎盤等の遺残による悪露滞留症や感染については、子宮内容除去術を行う以外に治療法がないこと、子宮復古不全自体には後遺症がないが、子宮腔内の感染や子宮内容除去術の掻爬が原因となって子宮腔内癒着を生じやすいこと、子宮腔内癒着を生じた場合には多少月経や無月経などの月経異常、不妊症となることが多いことが認められる。既に認定したとおり、本件では、原告の分娩後昭和五七年一〇月二〇日までの間、原告の子宮腔内に胎盤等の遺残片が残留しており、右一〇月二〇日に掻爬によって右胎盤等の遺残片が排出され、これによりそれまで続いていた産褥熱も下がったところ、その後、原告には子宮腔内癒着を生じ、不妊症、月経異常の障害を負うに至ったものであるところ、<証拠略>によれば、鑑定人は原告の右子宮腔内癒着は、胎盤等の遺残片が残留したため、産褥性の子宮内膜炎を発症し、これと子宮内容除去術の際の掻爬とが原因となって生じたものと考えられると判定しているが、この鑑定は信頼することができるものと認められるから、以上によれば、原告の子宮腔内癒着は、胎盤等の遺残片の残留による産褥性子宮内膜炎及び子宮内容除去術の掻爬が原因であり、右子宮腔内癒着のために不妊症、月経異常等の後遺障害を来したものというべきである。

なお、<証拠略>によれば、DICの後遺症としてMOFを生ずることがあるが、本件では軽度であり、DICは後遺症を残していないと認められ、本件のDICが原告の右子宮腔内癒着及びこれを原因とする前示の後遺障害を生ぜしめたことを認めるに足る証拠はない。

四そこで、被告の帰責事由について検討を進める。

1 請求原因5、(一)から(四)までは、いずれも請求原因4、(一)の因果関係が認められることを前提とした主張であると解されるところ、右因果関係は、前記三、1から3までに判示したとおり、これを認めることができないのであるから、請求原因5(一)から(四)までにおいて原告が主張する帰責事由の存在については、それ以上の判断の必要を見ない。

2  同(五)から(七)までについて

(一)  既に認定したとおり、本件では、昭和五七年九月二六日午前〇時五四分ころ、原告は胎盤等を自然に娩出し、西島医師及び酒井助産婦が、そのころ及び同日朝ころ、右胎盤等を確認したが、いずれもその欠損や子宮腔内の遺残を発見することができなかったものの、同年一〇月二〇日に西島医師が子宮内容除去術を行った結果胎盤等の遺残片が排出されたのであり、したがって、この間、原告の子宮腔内に胎盤等の遺残片が少量残留していたものといわざるを得ない。

しかしながら、前記判示のとおり、西島医師が娩出された胎盤等を確認したときには原告にショック状態が生じており、かつ、ほどなくDICの発症があって、原告の生死が危ぶまれている状況が生じ、原告の子宮腔内になお胎盤等の遺残片があるか否かを十分観察する余裕がなかったものであり、酒井助産婦が娩出された胎盤等を確認したときも、原告が大量出血後の意識不明に陥り、新鮮血の提供者の確保等原告の救命のための緊急の対応等に被告病院産婦人科全体が迫まられ、ゆっくり右の胎盤等を子細に調べ尽す余裕がなかったものであり、また、<証拠略>によれば、少量の胎盤等の遺残は稀なことではなく比較的しばしば起こるものであること、少量の胎盤等の遺残片がある場合にも、その後に通常生ずる子宮の収縮により自然に排泄されて一般的には問題を生じないこと、DICの後遺障害としては子宮の収縮不良や子宮腔内膜炎どころか母体を救うための子宮摘除の事態を招くことも少なくないが、本件では、原告の子宮を温存しつつその生命に対する危険が被告病院側の対応により克服されていること、DICを生じた後には右のように子宮の収縮不良を起こすことが稀でないが、本件では、この子宮収縮不良によって前記のように少量の胎盤等の自然排泄がなされずに原告の子宮腔内に残留することになったこと、本件においては、原告のDICの症状が鎮静した時点で、子宮内容除去術を施すことが可能であったが、産褥二四日目に実施したことについては、子宮内容除去のための掻爬が出血を伴うことが多いことや原告がDICによる大量出血で胎児娩出後約一週間も生命の危険にさらされていたことも考慮すべき事情であったことが認められる。

以上の認定事実によれば、西島医師及び酒井助産婦は、原告の分娩後に娩出された胎盤等を確認した際子宮腔内にこれの遺残片があったことを見落としたものではあるが、前示のような各確認の際の原告の急迫緊急の事情のほか、少量の胎盤や卵膜の遺残がさほど稀なことではなく比較的しばしば起こるものであり、かつ、本件の胎盤等の遺残片も少量であったと認められることを勘案すると、右西島医師及び酒井助産婦が娩出された胎盤等の確認に注意を尽くさなかったとまでは認められないし、また、西島医師が子宮内容除去術を産褥二四日目に実施したのは、時期がやや遅いとはいえ、本件の胎盤等の遺残はDICの発症に伴う子宮収縮不良による遺残であり、原告がDICによる大量出血を起こした後に出血を伴いがちな掻爬を行うについて慎重となったことも無理からぬものがあるから、西島医師による右の子宮内容除去術の実施が遅きに失したとまではいえず、早期に子宮内容除去術を行うべき注意義務に反したとまでは認められない。

(二) さらに、既に認定したとおり、子宮腔内への胎盤等の遺残による悪露滞留症や感染については、子宮内容除去術を行う以外に治療法がないのであって、西島医師が掻爬により子宮内容除去術を実施したことは不可避であったといわざるを得ないところ、<証拠略>によれば、産褥子宮に対する掻爬は、子宮腔を傷つけやすく、かつ、出血しやすい手術であること、このため産褥子宮に対する掻爬によって子宮腔内癒着を発症しやすく、掻爬を行った場合の二〇パーセントから三〇パーセント程度に子宮腔内癒着を生じていること、掻爬は結局手探りの手術であり、どの程度に行えばよいかの具体的基準はなく、医師の経験と技術に頼らざるを得ないものであることが認められる。これらによれば、一方で、産褥子宮に対する掻爬は、それだけ注意深く行われなければならないものというべきであるが、他方では、掻爬によって子宮腔内癒着が生じるのを避けられない場合もあるというべきであり、子宮腔内癒着を生じたからといって、この結果だけから不適切な掻爬が行われたものと推認することはできない。そうだとすれば、西島医師が、子宮内容除去術を行った際、特段不手際な掻爬を行った事実を窺わせる証拠が全くない本件においては、右西島医師の子宮内容除去術についてその手技の適否に関し原告主張のような注意義務違反を問うことは相当でないというべきである。

(三)  以上によれば、請求原因5、(五)から(七)までにおいて原告が主張する帰責事由の存在はいずれも認められない。

五よって、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官雛形要松 裁判官北村史雄 裁判官貝原信之は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官雛形要松)

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